西川 久美


<施術家ストーリー>

 

大阪府吹田市生まれ

家族は、父と母そして一つ違いの妹の四人家族。

 

わりと昔から無口で目立たない子供でした。幼稚園の演劇発表会で主役になりたかったのに、なれずに悔しがった記憶はあるのですが・・・。幼いころから、喜怒哀楽をあまり表現しなかったのか、いつもおとなしい子として周りから認知されていたようです。

 


幼いころ、妹と仲良く遊んでいたという記憶があまりありません。

正直にいえば、妹とはあまり仲が良くありませんでした。

なぜなら、私は優等生タイプ? そして妹は、どちらかというとヤンキータイプ?

一つ違いの二人にしては、性格があまりに違いすぎたのでしょう・・・(笑)

小さなころから、誰かと遊ぶよりも一人で遊べる鉄棒などが大好きな子でした。

そんな私にとって、小学5年生からバレーボールを始めたのがスポーツ歴の始まりです。

 

兄弟学級で担任してくださった上級クラスの先生が、実はバレーボール部の監督でした。

私の一番仲の良かった友人「日野ちゃん」が、先に監督と仲良くなってバレーボール部に入部することになり、つられて私も参加するはめになりました。

 

日野ちゃんはその後活躍してセッターとなりますが、私はいつも日野ちゃんの控え役。いつも悔しい想いをしていました。でも、試合の重要なところでは、サーブが得意だったのでピンチサーバーとして活躍しました。

 

いつも控え役だった私ですが、6年生の時に生徒会の役員になり運動会などでは朝礼台に立って西丘体操(小学校のオリジナル)を自ら考案し、発表指導。少しだけ主役への練習になりました。(笑)注目されるのって、結構嬉しいものですね。

 

中学に進学しても部活はバレーボール部。やはり、ここでも日野ちゃんにおされてまだまだ控え役。高校生になっても、やはり部活はバレーボール部。これと決めたら、コツコツと進むのが私のスタイル・・・。同学年の子がみんな辞めてしまっても一人だけ残り、念願のレギュラーに。同学年の仲間がいなかったのは、淋しかったですが、レギュラーとして試合に出られた時は本当に嬉しかったです。

 


 

そしてついに、なんとこの私がキャプテンを務めることに。からだの小さな私は、機転の利くセッターとレシーバーを掛け持つ選手としてとても忙しい日々を送る毎日へと変身しました。

 

 

ところがいっぽうでは、中学1年のクラスで「女子全員から無視されるという精神的ないじめ」がすごくて、耐え切れずに一時は本気で「死にたい」と思った経験があります。

 

でも、根が負けず嫌いな私は一日も学校を休まず、部活に励むことでなんとか一年間を過ごし、2年のクラス替えでこのいじめを乗り越えました。

この時は、母親の愛情に本当に支えられました。

 

 

しかし、神経的な苦痛を多くため込んでしまったのか、このころから少しずつ体調が崩れてしまいました。生理不順、アトピーに似たアレルギー症状、便秘体質になり、冬場のしもやけはまるでグローブのように手が腫れてしまうほどでした。

 

中学3年の時には、皮膚症状まで現れて思春期の女の子としてはとってもつらく、大変悩みました。ずっと続いていた皮膚症状は、高校卒業まじかに初めて大学病院で診察を受け、医師から「おそらく父からの遺伝が関係している」との説明を受けて塗り薬による治療を開始。

 

ですが、薬による治療では症状が一向に良くならず、大学生時代は、学校とアルバイトで多忙な生活を送っていたため、症状はひどくなるばかりでした。切実だったのは、荒れている皮膚を隠したいがために、オシャレができず、落ちてしまうかさぶたを外出中は始終気にしてしまい、神経まですり減らして過ごしていた事です。もっと青春をエンジョイしたかったですね・・・(笑)

 

 

私が健康に目覚めたのは、大学卒業後に勤めた女性の自立を支援する図書室の先輩との出会いからでした。琵琶湖のそばで育ったその先輩は、私に合成洗剤の危険性を教えて下さり、私も石けんライフに切り替える事にしました。

 

最初に使用した粉石けんは、泡立てるのが大変でしたが、掃除にもクエン酸や重曹を使用し、徹底的に生活を改善していきました。

 

石けんシャンプーのみを使用する美容院との出会いも、私にとってかけがえのないものです。大阪に帰るときには、「絶対に立ち寄りたい!!」そんな場所です。

 

食事もマクロビオティックに関心を持ち、本や雑誌を見て、実践できる範囲で実践。

自然食品のお店にも休み毎に通っては、新しい調味料を買い、情報を集めてと、新しいライフスタイルを満喫しておりました。

 

久しぶりに会った友人には、『どうしたの???久美がスイーツを食べないなんて!病気になったんじゃないの?』と言われてしまう程の変化でした。

 


 

 

東洋医学に興味が出てきた頃でしたが、その時の仕事内容は「本」と「パソコン」とにらめっこの単純仕事でした。学生時代のアルバイトで接客経験をしていた私は、人とのふれ合いに再び憧れが募り、一大決心をしてリラクゼーションサロンスタッフ(ボディケア・リフレクソロジー・アロマトリートメント)へ転身。

 

人とのふれあいで心がウキウキ、笑顔になれたり、ちょっぴりドキドキしながらのポジティブな心への刺激が功を奏したのか、その後、皮膚の塗り薬を辞めても、大丈夫になりました。高校時代からの花粉症も改善できた事には、正直本当に驚きでした。しかし、順調な生活を送っていた矢先に新たな不調が…。

 

なんと私の左手に、「痺れ」が出るようになったのです。

 

せっかく、憧れの癒しの仕事に就けたのに、こんな事で諦めたくないという想いで、近所の整形外科を受診し、毎日リハビリに通いながら出勤するという日々を送っていました。負担のかかる身体の使い方を続けていたせいで、「痺れ」だけでなく、ついに手首の痛みで満足な施術が出来なくなり、必死で、いくつもの治療院を回りました。

 

「痺れ」は腕への負担を減らせば大丈夫でしたが、手首の痛みはどこの治療院に行ってもなかなか変わりませんでした。

 

痛みの苦しみを抱えたまま仕事を続けていたところ、最初は私の身体にもいいと信じていたアロマオイルにアレルギー反応が出るようになり、泣く泣くアロマトリートメントを辞めなくてはならない状況になってしまいました。

 

私の手首の痛みや皮膚の症状、アレルギーなど、なかなか治らない痛みや不定愁訴を癒しだけではなく、根本改善出来るようになりたいと模索していたところ、知人から「整体」の存在を教えられ、根本改善できる療術家を目指して「整体」の道を選ぶ事にしました。

 

東京の某整体学校で学び、卒業後には研修生として学校の直営店での整体施術の仕事に就きましたが、私のように小柄な女性が行うには、体力を必要とする結構ハードな施術内容には不安が募り、患者様にも、施術者にも優しい方法はないものかと探していた時に、先輩から「無痛整体」というやさしい施術方法の存在を教わりました。

 

それまで、強い刺激での調整が多かったので、初めて自分が「無痛整体」を体験した時には、ソフト過ぎて驚きました。そして、同じ女性施術者として半年前からスタッフ研修をされていた手塚先生の施術を何回か継続して受けることで、それまで頑固なまでに変わらなかった身体のバランスが確実に変化しだしていることを実感しました。

 

この体験から、私のような小柄な女性でも結果が出せる「無痛整体」しかないと確信するようになり、おがさわら治療院のスタッフとして参加させていただくことになりました。

 

総院長のもとにお世話になって早くも4年目。

私が担当させていただいている方は、ぎっくり腰や坐骨神経痛、ヘルニアによる「痛み」を訴えておられる方、婦人科系や更年期症、自律神経失調症で悩んでおられる方など、様々な症状がありますが、一人一人に合わせた見立てと施術内容を選択して、しっかりとその症状を改善出来るように、日々研鑽を積んでおります。

 

どうぞつらい想いをしている時には、決してひとりで悩まずに私たちに是非相談して下さいね。あなたが笑顔になれるように、私がしっかりとサポートいたします。

 

おがさわら治療院・整骨院

副院長  西川 久美


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