スタッフ紹介

小笠原 芳則

甘えん坊のお子様がいても大丈夫。一緒に施術風景
甘えん坊のお子様がいても大丈夫。一緒に施術風景
妊婦さんの腰痛、安産ケアも
妊婦さんの腰痛、安産ケアも
全国の整体師仲間への指導風景
全国の整体師仲間への指導風景

<総院長の施術家ストーリー>

 

昭和30年代後半京都府生まれ

出生時は、予定日より一か月も遅く生まれたにもかかわらず、超未熟児で関係者が成長をあきらめ保育器にも入れてもらえなかったが母親の強い愛情と養育で無事に成長。


 幼少時代は内弁慶で家の中ではいつも兄にちょっかいをだして喧嘩しては泣かされ、外では恥ずかしがり屋で挨拶もろくにできないほどの人見知りとして育つ。今では、「え~、嘘でしょう」とよく言われますが、今でも人見知りで初対面の会話がとても苦手なのです。

 

小学生の頃は身体が小さく体力もあまりなかったため運動嫌い。徒競走はいつもビリなのに買い物競争や障害物競争は大得意。きっと、三人兄弟の末っ子として育つ中、どうしたら人が喜ぶのか、またどうしたら人に怒られるのかなどを兄の失敗や成功などをみて要領よく機転の利く子供として育ったからでしょう(笑い)

 

 小学5年生から兄の手伝いで新聞配達のアルバイトを始め、人生で初めて給与を得る。

中学卒業までの5年間、休刊日と公休以外は台風や大雪の日も自転車の転倒を繰り返しながら配達をやり遂げた経験は、今でも継続の力となっています。始めたころは体力もなくよく転倒したものですが、同時期に夏休みや冬休みの間に父の働く建設会社の手伝いに行き体力づくりを行っていました。

 

おかげで、中学2年生のころには筋力が人並にアップ。小柄なため、瞬発力は劣りますが持久力には自信のある男へと成長できました。部活は、小学生から始めたソフトテニス、柔道、バレーボールを兼務。

からだもしっかりと筋力アップし、中高時代は悪ガキへと変身。そんなある日、高校2年の秋に突然激しいめまいと頭痛、嘔吐により意識不明で入院、脳腫瘍の疑いで大学病院へ転院し検査と療養生活を送り4か月ほどして無事に退院。

 

このとき、脊髄液検査や造影剤投与でのCT撮影など様々な検査を体験。看護される側の貴重な体験ができたと今では感謝しております。


その後高校を無事卒業し、東京のビジネススクールへ法律関係を学ぶため進学。

国家資格を取得して不動産関係のサラリーマン生活をしていた20代のある日、原因不明のひどい腰痛を発症。突然電気がビリビリと走ったかと思うと股関節がロックされて歩行困難、足先の小指側までしびれと痛みが出現。

 

駅の階段やバスの乗り降りにも苦闘。その後偏頭痛や耳鳴りなどにも悩まされて不眠状態で苦しむ。整骨院や整形外科、専門医など多くの治療を受けるも一向に改善されず、本屋で見つけた書籍を読んでは次々と民間療法を体験する日々を送る中、自分の腰痛の原因が仙骨にあることをようやく突き止めました。

 

自分の腰痛や頭痛を完治させたい、そして病気に苦しむ家族や知人たちを少しでも手助けしたいと思い、次第に中医薬や気功、整体、ヨガなど東洋医学の叡智に興味を抱くようになり、平成6年より上海中医薬大学や北京中医薬大学の国際教育機関で学び、家庭内療法として家族や知人への施術を行い臨床経験と学識研鑽を積んで参りました。

その後「神の手」と呼ばれる優秀な治療家の先生方と出会い、感銘を受けて今後の一生を治療の道に捧げることを決意し、サラリーマン生活を終えて鍼灸按摩マッサージ指圧師と柔道整復師の国家資格を取得。

 

資格取得後は在宅訪問施術を開始して、港区・渋谷区・目黒区を中心に都区内の寝たきりなどの重症な方々を施術。末期の患者さんとの出会いや別れなどを数多く経験するなかで、患者さんから多くのことを学ばせていただきました。未熟な治療家である私の施術をいつも心待ちにしていてくださった皆様の大切な命と時間を頂いて、私自身が大きく育てられた施術家時代でした。


その後縁あって、平成19年3月たまプラーザに「おがさわら治療院」を開院。開院当初はソフトな指圧手技と棒灸、気功施術をメイン施術として、都内への在宅訪問施術と兼務のため、火曜・木曜・土曜の週3日午後診療のみでスタートしました。

 


ところがちょうどその頃から、治療院の開院を応援してくれた筋ジストロフィーで療養中の母の体力が急激に弱まり、私の施術を受けるために毎年繰り返してきた京都からの上京が困難となりました。初夏のある日に、「もうそんなに長くないから、早く顔を見に来て・・・」と、いつもなら勝気で気丈な母がめずらしく弱々しい電話をかけてきました。私は、「少し弱気になっているな」と思いながらも、「正月には帰省するから元気にしててね・・」と励ますだけでした。

 

その後も電話で時折母の身体の状態を聞くだけで、秋の連休にも休みが取れず、12月30日早朝にようやく京都へ帰省しました。恒例の墓掃除を終えてから、母のもとへ妻と会いに行きましたが、母はベッドに寝たきりで身体は弱々しく元気がありません。声も十分には出せず、食べ物もゼリー状のものなどでないと喉を通らないほどです。

 

母と少し会話をしてから、妻が母の身体を清拭しておむつ替えを行い、その後私がベッドの上でやさしくマッサージ施術をしました。ほっそりと骨と皮だけになった母の体を施術しながら、「この刺激では強すぎないかな・・・」「こんなに急にやせ細ってしまうとは、あまり長くはないのかも・・・」不安を感じながらも丁寧を心掛けて施術を続けます。

 

施術が終わると、母は「あー気持ち良い」と精いっぱいの笑顔で喜んでくれました。

その後、少し血色が良くなった母は妻に対して身の回りの品々を片付けてくれるように頼み、あれこれと指示して昔のアルバムやら思い出の品を整理整頓し、不要なものを仕分けしました。

 

帰省中の数日間は、毎日、妻と一緒に母の身体を清拭しマッサージ施術を行いました。

 

そして1月3日の施術後、夕刻に帰宅の挨拶を交わしてその夜に車で川崎市の自宅へ向けて出発。4日昼に川崎市の自宅に帰宅したところ、母が意識不明との急報が入りました。

そしてすぐさま京都へ車で引き返しました。

 

同日の夜に病院のICUで母と再会しましたが、バイタルは低下して自発呼吸もできない状態となっており、まさに脳死状態です。急激な状況の展開に驚きましたが、私ができることは、ICUのなかでそっと母の手足を把握してあげることだけでした。

 

一人で治療院の施術と訪問施術を行って来た私には、代理スタッフはおりません。予約を受け付けた患者さんへの施術も待っております。このまま期限を決めずに延期を繰り返すこともできない状態で、脳死の状態から3日が過ぎようとしていました。

 

ドクターとの面談で家族に対する状況説明を受け終わると、「私のことはいいから、お前を待っている患者さんのもとへ帰りなさい・・」そう母が私に語り掛ける声が浮かびました。

 

「臨終にはもう立ち会えない」と覚悟を決めて、その後を兄夫婦に託して母の病院を後にするときは、妻と共に涙せずにはいられませんでした。それから約一週間後に70歳で母は他界しました。

 

後日叔母から聞いた話では「これが最後の電話だからね」と母が倒れる前日に自分から叔母へお別れの電話をしていたそうです。実にあっぱれな母でした。

筋ジストロフィーという難病を患いながら、自分の身体が不自由となり外出がままならずとも、声を出し話せる間は電話で親戚や知人たちをいつも励ましていたそうです。

 

 悲しい別れを経験したあと、「母のような重症な患者さんにもっと優しく施術できる方法はなかったのか・・・」「将来の治療院の運営はどうあるべきか・・・」と日々模索していたところ、同年6月に脳反応を利用した無痛整体と出会いました。

 

直感がよく働く私には、母が「こんなやさしい施術法があるよ」と私に教えてくれているように思え、即座に学ぶことを決意。翌7月からは技術を早期にマスターするために施術法を切り替えて無痛整体のみを行うようにしました。

 


地域貢献活動 無料整体施術を開始

 

半年ほどで無痛整体の手技で素晴らしい効果を出せるようになった私は、「母を自分の治療院で施術してあげたかった」という思いと、無痛整体に出会えた感謝をもとに、

 

同年12月のクリスマスイブから地域貢献活動として70歳以上と中学生以下の方を対象に整体施術を毎週月曜午後(当初は水曜)に無料で行うことにしました。


この施術は一回だけの体験施術ではなく、必要のある方には毎週継続してこの無料施術を受けていただくというのが最大の特徴でもあります。

 

よく質問されますが、70歳以上は母への親孝行の代わりと伝えております。なぜ、中学生以下の子が対象なのかというと、あるTVニュースで世界の15歳を比べた時にアジア、欧米のなかで「日本の15歳が一番孤独だ」と報道されたのを偶然知ったからです。私も15歳時代は孤独な少年でした。

 

大人でもなく子供でもない15歳。親や先生に聞いても、まじめに質問に答えてくれませんでした。「どうして生きなければならないの」「なぜ病気になるの」「なぜ人は死ぬの」「なぜ勉強しなければならないの」「なぜお金儲けが必要なの・・・」なぜ、なぜ、・・・

 

親だからこそ、先生だからこそ答えられないこともありますよね。

 

こころもからだも強くたくましく育ってほしい未来の宝だからこそ、私たちができる精いっぱいのエールを込めて良き相談相手、良き理解者の立場で思春期の子供さんへの対応をさせていただいております。スポーツでのからだの使い方、筋肉の鍛え方もアドバイスいたします。

 

 

この地域貢献活動は、私たち治療院スタッフにとってはとても貴重な学びの場です。それは、多くの重症な方々のさまざまな症状を施術させていただいているからであり、私たちにとっては、皆様が「私たちの先生」です。


※詳しくはこちら↑をクリック下さい。

現在当院へは脊柱管狭窄症、ヘルニア、腰椎圧迫骨折、変形性膝関節症、リウマチ他多くの症状でお困りの方々が他の専門医を受診されたのちに当院へ来院してくださいます。

 

「おかげで手術しなくて済んだ」「あれからすっかり痛みが出ない」など、多くの喜びの声をいただき、また口コミによる紹介患者さんが大勢いらしております。

なかには、正直なところ私たちにも難しい症状の方も来られますが、経過観察しながら適切なアドバイスを行わせていただいております。

 

 

私の信条と口癖は

「あきらめない」「逃げ出さない」

「きっと大丈夫」「かならずなんとかなる」

 

身体が不調になれば、心も乱されてしまいます。悲しみや不安、怒りで心が乱されていると、感情に共鳴する内臓や臓腑も不調に陥ります。やがて、内臓の不調は反射して身体側に表れてゆがみを作り出し、ゆがんだ姿勢が固定化されて筋肉の緊張と血流障害などを起こして痛みやしびれを発現して悪循環に陥ると考えております。

 

一人でも多くの方を痛みやしびれの苦しみから解放できるようにしたいと、現在では多くの本物の治療家を目指すスタッフたちと共に学び、共に成長して行けることが私の人生の最大の喜びです。

 

遠からず、医療先進国であるアメリカや欧州、反して医療が行き届かない貧しい地域の方々にも、高額な医療機器がなくても電気のない山奥など何処ででも出来るこの優しい手による無痛整体手技を広げられるように活動を行う予定です。

 

どうか、あなたの周りでも一人で痛みやしびれに苦しんでおられる方がいらっしゃれば、是非私たちがいることをお知らせください。あなたの笑顔が見られるように、最善の努力を惜しまずに私たちのまごころを捧げます。

 

おがさわら治療院グループ

代表者 総院長 小笠原 芳則

 

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