山田有紗

〈施術家ストーリー〉

1998年横浜市青葉区に、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、2つ上のお兄ちゃんの家族として生まれました。 お母さんの話によると、予定日の二週間ほど前にお医者さんから「ちょっと、この子は小さめですね…」と言われとっても心配したそうですが、出産の当日に4008と「大きめな」赤ちゃんとして生まれ出てきて、お母さんはビックリしたそうです。


幼稚園の頃は人見知りが強く、恥ずかしがり屋でずっとお母さんの後ろに隠れていました。通い始めはお母さんと離れたくなくて毎日のように泣いていたそうです。

その頃の私はとても肌が弱く、手のひらなどが年中荒れていました。当時、幼稚園では泥団子作りが流行っていたのですが、親から砂遊び禁止令が出ていた程に肌が弱かった為、友達と一緒に泥団子を作って遊んだという記憶はなく、幼稚園の先生が見本で作ってくれている大きな泥団子を横でじっと見ているだけでした。 (私もピッカピカの泥団子作ってみたかったなあ)

そんな肌弱な私でしたが、お兄ちゃんの影響もあり幼稚園の頃から体育教室(Buddyスポーツクラブ)に一緒に通い、体を動かすことが次第に大好きになりました。

小学校に上がると休み時間は、友達とドッチボールか鬼ごっこ、放課後はいつもに外に出て公園で遊んでいる子で、クラブ活動は4年生では卓球、5年生では図工、6年生では理科クラブに所属し、運動したり物を作ったりするのがとっても大好きで、まるで男の子みたいな女の子でした。

 

 

ちょうどその頃、お父さんの影響で小学校の4年生くらいから家族でカヌーを始めました。そして高学年になってからはカヌーの大会にも出たりし、今でも年に1回は家族で必ず本栖湖等に行ってカヌーを楽しんでいます。みなさん、本栖湖の上から見る富士山はホント奇麗で最高です。


中学校に上がっても勉強よりも体を動かしたり何かを作ったりと国語や数学よりも体育、美術よりも体育が大好きな子でした。部活動は、幼稚園からの幼馴染で運動神経抜群な女の子に誘われて、バドミントン部に入ることになりました。

 

入ったはいいものの、まわりは経験者だらけ。私は体を動かすのは大好きでしたが、体力はそれほどなく長距離走など基礎の体力トレーニングはかなり苦手でした。最初は体力トレーニングもシャトルを打つのも経験者の同級生について行くのが精一杯で、身体がきつくてとっても辛かったのを今でも覚えています。

 

1年生の夏頃には、初めて足が着けないくらいの捻挫を経験したりと精神的にも肉体的にも挫けそうになった思い出が沢山あります。ですがなんとか怪我からも復帰し技術的にも向上して2年生の頃には試合に出られるところまでいき、バドミントンの楽しさに惹かれていきました。

 

高校に上がってもまた同じ幼馴染の親友に誘われ、バドミントン部に入りました。

必死に先輩達に食らいつきながらではありますが、1年生の頃から先輩と一緒に試合に出してもらえたりと充実した日々を送っていました。

 

しかし先輩の引退試合が近づいてきた高校2年生の春。前日まではなんともなかったのに朝起きたら腰に違和感が「まあなんとか治るかな」と軽い気持ちで腰に違和感があるまま部活に参加していました。日に日に腰の違和感は痛みに変わっていきました。ですが私の頭の中には先輩の引退直前であったために、先輩とまだ一緒に部活がしたい。先輩と一緒に試合に出たい。という思いが強く「部活を休む」という考えにはならず、無理をして参加していました。

 

腰をかばいながら運動していたためか、痛みは臀部や股関節へ広がり、ついには足の痺れまで出てきてしまい歩くのも座るのも何をするのも辛いという状態になっていってしまいました。

 

これはやばいと思い整形外科に行きレントゲン MRIを撮ったところ「腰椎椎間板ヘルニア」と診断。なんとか治りたいと近所の整形外科や整体・接骨院、電車を乗り継いで他の治療院へ行ってみたりと色々な施術を受けてきましたが一向に良くならず「もうこのままずっと治らないんじゃないか」となかばあきらめかけていました。そんな時に母が見つけてくれたのがここ、「おがさわら治療院・整骨院」でした。

 

初めて施術を受けてみると、とても優しくて心地の良い施術だなと思ったと同時に、これで治るのかなと正直に言うと施術を受けている最中は不安な気持ちが少しありました。ところが1度目の施術が終わり立ってみると股関節の痛みが綺麗に消えていました。「あっ、ここなら治るかもしれない」と思い2度目の施術を受けてみると今度は臀部の痛みが消えていました。痛くなったのとは逆の順番で症状が消えていき、とっても感動したことは一生忘れることはできません。

この施術体験をきっかけに、「おがさわら治療院・整骨院」に定期的に通い始め、人間の体ってどうなっているんだろう?どういう仕組みになっているんだろう?と興味を持つようになり、勉強嫌いな私が初めて本気で勉強してみたいと思ったのです。

 

それから、私みたいに痛みやしびれで困って弱気になっている人や色々な人を私も救いたいと考えるようになり新垣院長のような治療家になりたいと憧れるようになりました。

そして高校卒業後の進路を新垣院長の勧めもあり、はり師きゅう師あん摩マッサージ指圧師の資格を同時に取得できる専門学校へ行くことに決めました。

 

専門学校のクラスメンバーは、高校卒業したての人は少なく、大学を卒業した人や社会に一度出てから入学した人、また、海外で仕事していた人(海外に家出していた人)など、私よりもはるかに人生経験豊富なとても魅力的で愉快な人達が沢山いました。学校の先生も、中国から中国伝統医学を持ち帰り日本で広められた先生や、基本がどれだけ大事かということを教えてくださった先生、また、どの教科の質問をしても即答で詳しく解説してくれる先生など、尊敬できる凄い先生方に恵まれ、刺激を沢山もらい、沢山のことを勉強させて頂きました。

3年間クラスのメンバーはほぼ変わらず絆を深めていき、テストだらけの座学や緊張で手足が震えて鍼が持てない人が続出するような厳しい実技試験を乗り越え、私も彼らとともに無事に卒業することができました。そして国家試験にも合格し はり師 きゅう師 あんまマッサージ指圧師の3つの免許を取得しました。

そのころ、学生時代から何かと相談に乗っていただいた新垣院長先生から、「良かったらおがさわら治療院・整骨院の面接を受けてみないか」と誘って頂いたこともあり、早速憧れのおがさわら治療院・整骨院の面接を受け、4月から新メンバーとして働かせて頂けることになりました。

 

4月からおがさわら治療院・整骨院の研修が始まると、すでに私自身が患者として4年間施術を受けて来たこともあり、手技などの手順はすんなり入ってきたのですが、こんな所を見ていたんだとか、こんなことを考えながら先生方は施術をしていたんだという発見や驚くことばかりでした。ただ優しく揺らしているように見える手技であっても、注意すべき点が沢山あることを学びました。一か月にわたり辛抱強く技術研修をしてくださった小笠原総院長の真似を私がしても、練習の受手の人には全く違うように感じてしまったりと、どの手技も施術者の目線や意識するポイントが沢山あり、それらのポイントが少し違ってしまうだけで効果が大きく変わってしまうことを自身で体験し、日々おがさわら治療院・整骨院で施術されている手技の奥深さに感動の連続でした。

私自身が学生時代に自分の腰を痛めて多くの施術院を巡りながらも、途中であきらめずにこちらのおがさわら治療院・整骨院に出会い、施術を継続して受けることで良くなっていったという実体験から、皆さんが笑顔になって帰れるように全力で皆さんの力になれるよう頑張っていきたいと思っています。研修中に、総院長から「施術者にふさわしいとっても良い手をしていますよ」と言われたことが励みになっています。皆様、どうそよろしくお願いします。