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松田 泰紀(まつだ たいき)

施術家ストーリー>

200131日生まれ  (鹿児島県串木野市生まれ)

 

2001年に鹿児島で長男として産まれました!産まれた時の体重は3.1㎏と平均的な体重

ですが、丈夫に産んで貰った母に感謝しています。 

 

小さい頃は、元気がよく、外で沢山遊んでいたそうです。23歳の頃の記憶では、公園で泥遊びや水遊びをしたり、びしょ濡れになったりしていました(笑)他に、ブランコに乗ったり、遊具で遊ぶ事も好きでした。

 

幼稚園に入園する頃になると、ストライダーに乗ってみたり、実際にこぐ練習をしました。

最初はバランスを取る事が難しくて、何度も転倒したり、膝小僧を擦りむきながら、少しずつ上達していきました(笑)二輪車に乗れる様になると、自転車に乗る練習もしました!かなり苦労しましたが、年長時には自転車を乗りこなせる様になっていた事が嬉しかったです!

<ドラゴンボール大好き…>

お父さんが、TVアニメの「ドラゴンボール」が大好きで、いつも一緒に見ていました。キャラクターの中では、今でも孫悟空が一番大好きです。

 

とくに自分が大好きなシーン、感動したシーンが2つあって、「親子カメハメ波」のシーンと「魔人ベジータ」のシーンです。この2つは親子の絆、愛を一番に感じる、シリーズの全偏を見ていて一番感動したシーンです。漫画家鳥山明先生には、感謝しております。

 

<登園拒否ってありますか…>

幼稚園に入園すると、年少・年中の頃は時々行く事が嫌で泣いてバスに乗っていたそうです(笑)それは、担任の女性の先生が怖かったので、行くのが嫌でした。尻をたたかれたり、怒られてびびって、よく泣いていた記憶があります。 

 

でも、必ず家に帰る前には、優しくケアしてくれて、おやつをそっとくれたり、明日も元気においでね!と、声をかけてくださいました。 なので、この先生は実は良い人なのではと当時の私は思うようになりました。(笑)

 

<サッカーとの出会い>

年中の頃に初めて遊び道具として両親から買ってもらったゴムボールを触り、そして足で蹴る事が楽しくて、家の中で時間があればいつもボール蹴りをして遊んでいました。

 

サッカーブームもあり、地域の「セイントフットサッカークラブ」でサッカーを習い始めました! やはり家の中で一人でボールを蹴って遊んでいる時よりも、スクールに通って、同年代の子たちと一緒に練習をすることは、とっても楽しかったです。

 

僕のサッカー大好き人生は、ここから始まりました。

<僕に妹が出来た時…>

小学校に入学する前、僕に妹ができました!

出産で母が入院する為、母方のおばあちゃんが、自分の面倒を見に来てくれていました。大好物だったハンバーグを作ってくれて、とても嬉しかったです。

 

母が入院する為、お父さんも極力家にいてくれました。仕事で忙しい中でも、自分を気に

かけてくれたお父さんとおばあちゃんには、とても感謝しています。

<小学生になりました…>

小学校入学時に、宮前区野川エリアから犬蔵に引っ越してきました。そこで、地元のサッカースクール犬蔵SCに入団しました。自分の世代では、サッカー日本代表の三苫薫さんと田中碧さんがかつて在籍した鷺沼SCの次世代チームメンバー達とは、勝ったり負けたりの良い試合をしていました。

 

県大会のトーナメントの一回戦で鷺沼SCと対戦してPK戦で負けて大号泣しました。

日々仲間と練習していく事で僕もサッカー選手として上達していき、4年生の時には大会でMVPと優秀選手賞を取り、1番楽しく活躍した時期でした。

 

56年生時には試合や活動も増えていき、また、たくさんのライバルたちとも出会い、切磋琢磨してより成長する事ができ、チームスポーツとしてのサッカーの魅力を強く感じる事が出来ました。

<サッカー大好き少年の挫折…>

中学に進学してからも、当然スポーツはサッカーを続けました。1年生の頃は、サッカーをするのがとても楽しく、順調に活躍できていました。ところが、2年生の6月に左足の親指を疲労骨折してしまい整形外科に通院、松葉杖生活を1か月ほど過ごすことになりました。この時は、初めての激痛と自分の足で歩くことができないという最悪な状況でパニクってしまいま

した。

 

疲労骨折後のリハビリも順調に経過して、ようやく秋の大会に向けての実戦強化が始まった9月に、再び同じ左足の親指を大会前の練習試合中、相手選手にスパイクで踏まれ、再度負傷。激痛でその場に倒れこみました。再び整形外科に通院し、治療とリハビリの日々を送ることになりました。 

 

残念ながら回復が間に合わず、9月末の大会には試合に出場できず、非常に悔しい思いをしました。

 

その後、11月の半ばにようやく選手として復帰する事ができました。しかし、12月の大切な冬の大会にはなんとか試合に出ることはできたものの、今までのように先発組ではなく、後半からのリザーブ出場でした。

 

久々の公式戦で試合勘を掴む事が難しく、活躍もできずにとても悔しかったです(涙)

中学二年のこの年は、怪我を繰り返して満足に練習できずに本当に苦しい時期を過ごしま

した。

 

3年生になり、春の大会では1回戦負けをし、本当に悔しい思いをして大号泣しました。

この時に、最後の夏の大会では絶対に勝って優勝しようと決意しました。

そこから約3か月本気で練習をして、7月に夏の大会を迎えました。試合は22のドローで、その後のPK戦で勝利しました! この試合は、前半に2失点してしまい苦しい展開でしたが、後半の終盤に2点を返して追いついたのですが、同点ゴールは僕が決める事ができたので本当に嬉しかったです。

 

しかし、その後のPK戦で1番目のキッカーを務めたのですが、外してしまいピンチになりましたが、仲間がきっちり決めてくれたのと、キーパーも止めてくれたので何とか勝利できました(笑)この時に、仲間の大切さを再認識できました。

 

最後の夏の大会はベスト8で終わりました。最後の試合は2-3で負けてしまいましたが

全てを出し切り、本当に悔しかったですが、心に残る試合となりました。

 

3年間を振り返ると、怪我を繰り返して満足に練習できずに苦しい時期を過ごしたり、自分のミスで負けた大会もあり、悔しい時期を過ごした事もありましたが、心から楽しんで

サッカーをできたなと感じます。

<高校生になりました…>

高校は都内の私立高校で、サーカーでは中堅校で、チームメイトや対戦する相手のレベルも中学の頃に比べて上がり、より考えたり、判断を早くする事を意識しました。

 

高校生活ではサッカーは勿論ですが、人付き合い、人間関係の難しさも経験し、学ぶ事の多い学生生活でした。

 

今までの小学校、中学校では地元の犬蔵SCの仲間や地元の友達が多かったので、友達を作る事だったり、学生生活にも馴染みやすかったですが、高校では初めての出会いが殆どで、話す会話の内容だったりコミュニケーションには凄く気を付けた記憶があります。

 

お互いに初めましての中で共通の趣味を見つけて仲良くなる事は、とても面白かったです。僕自身会話をする事が好きなので、会話の引き出し方、つなげ方を工夫して上手くコミュニケーションを取れる様に頑張りました!

  

この頃に相手の気持ちになって考える事や相手に寄り添う事の大切さをより一層考える様になりました。これはサッカー中にも活きて、試合中のコミュニケーションの取り方、自分の意見の伝え方にも変化が表れました。

 

今まではパスがずれたり、プレーが合わなかった時に一方的に自分の意見や考えを伝えるだけでしたが、しっかりと仲間と話し合い、「今のこのプレーは良かったね!」や「次は合わせよう!」等、仲間の良い所(長所)を見たり、ポジティブな会話を増やす様になりました。

 

すると、お互いのプレーの連携も向上して試合中の会話も増えて凄く良い信頼関係を築く事ができたので嬉しかったです。

 

高校生活では、3年間を通してコミュニケーション能力の向上ができたので、会話の楽しさを学び、高めることができ、貴重な経験を積む事ができたと感じています。

<進学について>

結果として鍼灸の専門学校を進路に選びましたが、元々はサッカーのコーチをしたいと、中学生の頃からよく考えていました。

 

それは、小学校の犬蔵SC時代のコーチの指導がとても良くて、今でも強く心に残っているからです。時に厳しく、優しく指導してくれた事、僕が試合の中で点を沢山決めて活躍した試合があったのですが、試合が終わった後に、僕は有頂天になっていると、

 

「独りよがりのプレーをするな」

「お前一人でサッカーをやっているんじゃない!」

と怒られ、改めてチームスポーツの基本や、仲間の大切さを再確認したからでした。

 

最初はサッカーのコーチになる為の学校を調べてみました。

 

しかし、僕は元々小学生のサッカーチームのコーチになりたいと思っていたので、それには、ボランティアでも出来るので学校には通う必要はないし、自分の職業としての生活収入は別に稼がないといけないのだと、初めて気がつき頓挫しました。

 

そして、コーチ、先輩、お母さん、友達、担任の先生にも沢山相談しました。

 

サッカーに関連した職業に就きたい気持ちが強いなら、コーチのほかには、トレーナー、治療家、セラピストなどがあることを教わり、そこで過去に自分が怪我をした時に整形外科に通院したことを思い出しました。

 

コーチとしてサッカー選手たちを指導するだけではなく、トレーナーや治療家としてサッカー選手たちをサポートしていく職業があることを知り、コーチに尋ねたところ、コーチから、

 

「知り合いの鍼灸資格を持った人が、トレーナーとしてチームに帯同して選手たちのケアをしているよ…」と、助言をいただきました。

  

そこで、鍼灸師という資格があることを初めて知り、興味をもちました。両親に尋ねたりネットで情報を調べたりして、鍼灸資格を取るには専門学校に通い国家試験に合格する事が必要

だと分かりました。

 

学校の先生にも相談して、東京メディカルスポーツ専門学校の鍼灸師科に進路を決めました。その話を友達に伝えたら、友達も同じ専門学校に通う事を決め、今ではその友達も鍼灸師に

なりました。(笑)

 

<人生初のアルバイトは…>

高校卒業後の進路が決まって、人生で初めてのアルバイトをしました。

そこは、私が大好きなサッカーに関連した「Jフロンテッジフットボールスクール」と

いうサッカースクールのアシスタントコーチを経験し、自分で初めてアルバイト給与

いただけたという大感動でした。

  

初アルバイト給は、自分への褒美のほかに僕と同じ三月生まれのお父さんへの誕生日プレゼントを購入する費用に使いました。ちょっぴり高い、奮発したおしゃれなネクタイを贈ったら

お父さんがとっても喜んでくれたので、僕も嬉しかったです。

<専門学校へ進学しました…>

専門学校へすすんでからも、学校で知り合った先輩が作ったフットサルチームに参加してサッカーを楽しんでいました。今でも、このフットサルチームには参加しております。

 

学生時代は学費や自分の小遣いを稼ぐために、最寄り駅のたまプラーザ駅そばの飲食店でアルバイトをしながら専門学校に通い、人間の身体の構造や筋肉の働きについて学びながら、治療家や選手のサポートをするトレーナーの夢を目指す様になりました。

 

専門学校では、同じ夢を追う仲間や先輩方と出会い、東洋医学の知識や鍼や灸の実技と人間の身体について学んできました。

 

<鍼の響きが苦手なのです…>

自分が初めて鍼を受けてみたとき、筋肉の張りや痛みが受けた直後から改善し楽になるのを実感しました。ただ、自分は鍼のひびく様な刺激が少し苦手で、鍼の効果を実感しつつも、鍼の施術自体を、正直なところあまり好きにはなれませんでした。

自分と同じように、鍼のひびくような刺激施術が苦手な方が、沢山おられるのではないかと、その時初めて考えるようになりました。なので鍼が苦手な方への弱刺激な鍼施術やアプローチ法の練習をして、痛みのない刺激の少ない鍼施術について3年間を通して一生懸命練習してきました。

 

今でも、施術で鍼を刺す時には痛みを出さない様に、毎回意識して施術を行っております。

<卒業して国家資格を取りました…>

順調に専門学校で学び、国家試験を受験して卒業後無事に国家資格を取得しました。

 

その後に、青葉区内の鍼灸整骨院に就職して、鍼や整体施術の実践を学びました。実際の現場で、問診の中で患者様と会話したり、施術をしていくと、患者様対応の難しさだったり、人

それぞれ身体や筋肉の付き方も違うので、触診や施術する事の難しさも体感しました。約1年半勤めましたが、とても良い経験となりました。

 

そして現在、五十肩、坐骨神経痛、ぎっくり腰の施術をもっとうまくなりたいと思い、

おがさわら治療院・整骨院に転職しました!

 

<苦戦中の研修…>

研修を受けていく中で、人間力を高めていくことが一番大切だと教えていただきました。

コミュニケーションについても、人にはタイプがあるため其々のポイントに気を配ったコミュニケーションを意識すること。

 

独りよがりではなく、相手にしっかりと伝えるためのコミュニケーション力を身に着けることの大切さを学びました。

「誰のために」「何を」「どのように」伝えたいのか…

 

相手に合わせるということは、どのようにすればよいのか…

技術の研修に入る前に、社会人としての必要最低限の人間力を学ぶということは、未熟な私の人生経験の中では初めてのことばかり。

 

自分目線と相手目線では、まったく見える世界が違っていました。

これまでの自分の過大評価と、現在の自分の不甲斐なさを大きく知る機会になり、日々、新しい気付きを得られることは私にとっては大変貴重な体験です。

 

<想像以上の実技研修…>

当院で実施されている即効無痛整体は、あらかじめ見たテキストや動画から想像していた内容が、実は簡単そうに見えてとても奥の深い技術力を要求されます。これまで、鍼灸や整体施術で一通りのことは出来てきたつもりでしたが、こちらの研修では全てが初歩からのやり直しです。

 

問診、見立ての仕方、相手の身体への触り方、呼吸の合わせ方、施術のスピードなどを考慮した程度と加減を合わせるというシンプルな事柄が、一つ一つを繊細に先輩方が行っておられるのだと初めて理解できました。

正直、かなり落ち込んでしまいそうになりましたが、先輩やケアスタッフの皆様が実技練習の相手となって下さり、細かく指導をしてくださったおかげで、ようやく施術家としてのデビューをすることが出来ました。

 

代表からは、失敗を沢山経験して、成功体験を重ねて確信となり自信へとつながると教わりました。

 

私は、施術歴としては2院目の勤務となりますが、身体の痛みを取る施術、患者さんの不安を取り除き安心して楽になれる施術を目指していきたいと思います。痛みの原因となっている筋肉や神経を特定し、なぜ痛みが出ているのか説明をさせて頂いた後、適切なアプローチを行い症状の改善へと導いてまいります。

 

サッカーやスポーツが大好きな方、また筋肉や神経症状でお困りの方へのサポートやトレーニングをとおして、痛みのない健康な生活を送る事が出来る様に全力で皆様をサポートさせて頂きます! どうぞ宜しくお願いします!